わたなべりんたろう監督へ「関係者向け説明会」の開催を提案します

わたなべりんたろう監督の映像作品「レイシストカウンター」ですが、多くの方がご存じのとおり、他の映像作家の製作物の無断使用、出資者との約束事項の不履行、製作費カンパの不明瞭な使途など、さまざまな深刻な問題点が指摘されております。

これ以上問題の解決を先送りさせないために、私は「関係者向け説明会」の開催をわたなべ監督に提案します。

この映画の「出演者」と「出資者」のうち、希望者に対して、わたなべ監督自らが、指摘されている問題点について直接説明する会です。

問題発覚からすでに1か月以上が経過していますが、複数の関係者が個別に監督に説明を求めているものの、満足する回答が得られないままの状況であると聞いています。でしたら、関係者を集めた上で、監督がじかに質疑に応じる場を設けるのが最善ではないでしょうか。

2014年の「人種差別撤廃デー」のシンポジウムにて、監督をカウンターのみなさんに紹介してカンパへの協力を呼びかけたのは私です。私にも少なからず責任はあるでしょうから、説明会のセッティングのお手伝いくらいはさせていただきたいと思います。

開催日時については監督のご都合に合わせますが、私は8月に渡欧してしまいますので、7月中までにということでいかがでしょうか。

わたなべ監督からのお返事をお待ちしております。

映画「レイシストカウンター」について

わたなべりんたろう監督による映像作品「レイシストカウンター」をめぐって、いくつか深刻な問題が発生していたことを知りました。私はしばらくツイッターを休止しており、話題にはだいぶ乗り遅れていると思いますが、野間易通氏のタンブラーと松沢呉一氏のウェブ連載(今回の件をきっかけに購読を始めた)を読ませていただいたので、おおよその流れを理解できているつもりです。すでに両氏がこの件の問題点を整理して挙げており、私が新たに付け加えることは特に無いのではないかとも思います。しかし、松沢さんが「クラウドファンディングという方式を取って多くの人々を巻き込んでいる以上、この映画への出演者や協力者にも責任が生じる可能性があるのではないか」という趣旨の指摘をされているのを読み、作品への出演と製作費集めにわずかながら協力した私も、自身がどのようないきさつでこの件に関わったのか、事実関係のみを書き残しておきたいと思います。

わたなべ監督には2013年の秋ごろ、在特会一派の差別デモへのカウンター後に初めてお会いしました。2011年3月の原発事故についてのドキュメンタリー映画を監督し、現在は差別デモへの抗議行動に参加しつつ取材をされているとのことでした。

2013年9月の第1回めの「東京大行進」終了後、わたなべ監督より「カウンターを取材した映像作品を製作しているので、協力してほしい」という連絡をいただき、快諾しました。「レイシストをしばき隊」の活動開始以降、多くのメディアがこの件を報道しており、すでに韓国のテレビ局がなかなか高品質なドキュメンタリー番組を放送していましたが、日本側の、しかもカウンター参加者が映像作品の製作に挑戦をするということで、ぜひ協力したいと考えたからです。取材は10月に池袋行われ、前月に行われた東京大行進の趣旨などを簡単にお話したと記憶しています。

2014年の3月、私は「国際人種差別撤廃デー」に開催するデモとシンポジウムの準備を行っていましたが、監督から2度目の取材の依頼を受けました。「国際人種差別撤廃デー」がアパルトヘイトにおける虐殺事件を記念するために定められたことにちなみ、この時にはネルソン・マンデラに関するお話をしたはずです。このとき「国際人種差別撤廃デー」シンポジウムで製作費のカンパを募ってもよいか、という提案を受け、そちらも快諾しました。渋谷のシダックスホールで行われたシンポジウム当日には、開始前に「レイシストカウンター(当時は仮題)」の予告編をスクリーンで上映し、監督をステージに招き、作品の趣旨を簡単に伺った上で、カンパの協力を呼びかけました。本編であるシンポジウム開始前とはいえ会場は満席で、わたなべ監督について多くのカウンター参加者に認知されたのはこのときではないかと思います。

ひとつ思い出したのですが、このシンポジウムにて、参考映像として直前に池袋で行われた差別デモの動画を放映しました。映像はあるジャーナリストの撮影によるもので、私がお願いして使わせていただいたのですが、シンポジウム後にわたなべ監督から「あの映像を自作に引用したいので、撮影者の連絡先を教えてほしい」と依頼され、取り次いだことを記憶しています。

2014年にはカウンターの様相も変化していました。(関東における)在特会一派の弱体化は著しく、2013年9月を最後に新大久保でのデモ開催が事実上不可能になり、カウンター側も、たまに行われる在日外国人集住地域でのデモや、在特会一派の中でもとりわけ悪質な団体への抗議に焦点を絞るようになっていました。政権や自治体すらヘイトスピーチを無視できなくなり、カウンターも路上での活動から議員や自治体への働きかけに運動の比重を移しつつあった時期です。しかし、一向に「レイシストカウンター」は製作中の段階のままであったため、私をふくめ多くのカウンター参加者はこの映画のことを忘れかけていたのではないかと思います。

そんな中、2014年秋の第2回目の「東京大行進」開催直後に監督から連絡があり、「映画が完成に向かっているので、荒編集のバージョンをチェックしてほしい」という依頼を受けました。個人的なことなのですが、私はそれまでの数か月間にわたり「東京大行進」の準備に全精力を傾注しており、さらに大行進終了後は休む暇もなく期日が迫っていた語学試験の準備に取りかからなければならなかったため、「申し訳ないですがチェックをしている時間がありません。私自身の出演シーンについても、監督の判断にお任せします」とお答えしました。野間さんもタンブラーの記事で同様のことを書いていますが、取材の依頼を受諾してカメラの前で語ったことについては、取材者の判断と責任のもとに編集されたりカットされたりするのは当然のことだというのが私の認識です。私はそれまでにもカウンターについて多くのテレビ局や新聞社に取材を受けており、掲載前に記者さんから原稿のチェックをお願いされた経験もありますが、日時や場所などの事実関係、固有名詞の表記、活字表現の場合に特有のニュアンスの相違の直しを依頼したことがあるくらいで、原則として取材者の方にお任せしてきました。特に今回は映像作品ですから、活字と違って訂正=撮り直しとなってしまうでしょうし。ただし監督からは「お忙しいところ映像を見ていただきありがとうございました」という返信を受け取ったため、話が伝わっていないのかな?と思いましたが、なにぶん英語の試験のことで頭がいっぱいだったので、そのままにしてしまいました。

そして2015年春に「レイシストカウンター」は公開されたのですが、私自身はかねてより計画していた留学のための準備に忙しくなってしまったためにアンチ・レイシズム運動自体への関わりを大幅に縮小しており、さらにこの映画への関心もほとんど失いかけていたため、劇場には足を運びませんでした。また、公開直前に「クラウドファンディングを通してスポンサーとして参加した人たちに招待券が届いていない」という話を耳にしたために、作品を見る意欲がさらに下がってしまったというのもありました。4月末にはわたなべ監督からは「渋谷での再上映が決まった。上映後のトークのゲストとして出演しないか」というお招きをいただいていたものの、そちらも留学希望先の大学の入学試験と日程が重なったためにお断りしてしまいました。

ここまでに述べましたとおり、いまの段階でも予告編を除いて作品についてはまったく未見のままなので、自身の出演シーンを含め、内容については何も言えることがないのですが、「人種差別撤廃デー」のシンポジウムで、わたなべ監督を会場に紹介し、カンパの呼びかけに協力したのは完全に私の判断ですので、この点は私に責任があるかと思います。

現在、ツイッターをチェックすると、わたなべ監督を知る映画や文筆の業界関係者と思われる人たちから、わたなべ監督への過去の仕事や言動についての指摘が相次いでいるようですが、さすがにこの作品に出演した「カウンター」の人々や、トークイベントのゲストとして出演した識者の方々は、監督の評判について事前に知るすべもなく、純粋に「差別デモに対するカウンターに密着した貴重な映像作品」を期待して協力したはずです。もちろん私もその一人です。とはいえ、多数の善意の協力者を巻き込み、少なくない額のお金を集めてしまっているわけで、出演と製作費集めの呼びかけに協力してしまっている私も大変申し訳なく思っています。わたなべ監督はすでに自身のサイトで「作品の封印」を発表していますが、「クラウドファンディングで集めた資金について」と「無断引用の疑いが持たれている件について」は、できる限り早く対応されたほうがよいのではないかと思います。

バイパーゼロくんへ

「バイパーゼロ」こと @JDF_ZERO_28 くんへ。

私が君のご家族に宛てて手紙を書こうとしていることは、もうご存じだと思います。

君は、在特会関連のデモに頻繁に参加し、差別の扇動を行ってきました。日本に住むマイノリティに対し、「殺せ!」などという、悪質なヘイトスピーチを続けてきました。

また、ツイッターでは、マイノリティに対して何度も差別的なメンションを送っている。相手にブロックされても、執拗に繰り返している。

私は、君が長らく行ってきたことについて、君の自宅に告発文を送ろうとしています。あとは郵便切手を貼ってポストに投函するだけです。

しかし、私はいまでも少し迷っています。

どんな人間でも、更正の可能性はあると考えているからです。

君は、いまでも自分が行ってきた差別扇動行為が、正しいことだと思っているのですか。疑問を感じることはないのですか。

そして私は、君がどうしてこのような行動を続けてきたのか、いちど話をしてみたいという気持ちがあります。

今回の「ご家族へのお手紙」ですが、投函するまえに、君に猶予を与えたいと思います。ただし、以下の条件があります。

(1) 今後、ヘイトスピーチデモに一切参加しないことを約束し、その旨を君のツイッター @JDF_ZERO_28 で発表すること。

(2) 今後、マイノリティに対して、ツイッターで差別的なメンションを一切送らないことを約束し、その旨を君のツイッター @JDF_ZERO_28 で発表すること。

(3) 私と1対1で話をする場を設けることを約束し、その旨を君のツイッター @JDF_ZERO_28 で発表すること。

以上の条件を了承してくれれば、私はこの手紙の投函を取りやめます。

期限はこの投稿のおよそ24時間後、2014年6月18日午前0時00分とします。

もう、やめろ。いちど頭を冷やして、よく考えろよ。頼む。

木野トシキ

ナショナリズムについて

4月17日に聴講した小林よしのり氏の「ゴー宣道場」で、哲学者の萱野稔人氏による「ナショナリズム」の考察が興味深かったので、書いておきます。

萱野さんはズバリ『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』というタイトルの本を書かれているようで(私はまだ未読ですが)、特にリベラル陣営から否定的に語られる「ナショナリズム」について、肯定すべき面もあると語っておられました。

例えばリベラルな人が、「グローバル化を背景に、日本では経済格差が拡大している。貧困をなくさなければならない」とよく主張します。私もそう考えています。しかしこれは萱野さんによると「ナショナリズム」に基づいた言説であると。

経済のグローバル化は、資本主義先進国において、「富裕層はより富を拡大し、貧困層はより貧困に陥る」という現象をもたらしたわけですが、それこそ「グローバル」な視点で見ればそうでもなくて、むしろ途上国の産業にはよりチャンスが与えられ、世界の富は増大しています。「インドと日本のエンジニアが同じ土俵で競争させられるようになっている」というのは、インド人にとっては上昇機会が拡大していることになりますね。

しかしここで「日本国内の経済格差」に注目してその解消を訴えるというのは、まさに「ナショナリズム」の発想であると萱野さんは言うわけです。インドとアメリカと日本のエンジニアが同じ土俵で闘えるのは、むしろ世界規模で見れば「機会の平等」といえなくもないのに、国家という共同体内での格差を問題にしているわけですから(ロールズの「格差原理」も、共同体単位をネイションと想定しているわけで、一国平等主義になってしまう)。

萱野さんの考えとしては、「グローバル化を背景にした国内経済の悪化に伴い、ナショナリズムが排外主義へと変質していく恐れがあるが(在特会ですね)、それを防ぐためには共同体単位内での再分配、社会保障をすすめて対処するしかない。その共同体単位は、当然ネイションということになる」という感じでしょうか。

そして「国家という共同体の単位での平等」を唱えるとなると、「国家という共同体の構成員の定義は誰か。誰がそのメンバーで、誰がそうではないか」という問題になってきます。日本国籍所有者をさすのか、在留資格をある人を含むのか…。など。在特会はまさに「あいつらはこの共同体の構成メンバーではない」という主張をもとに排外主義的なデモを繰り返しています。

「ゴー宣道場」での萱野さんのスタンスは、どうも在特会らの排外主義について、その構造的な背景に注視する発言が多く、現場で差別デモに対峙しているカウンター勢からはそういった巨視的な見方に違和感を感じる人もいたのでは、と思ったのですが、これはこれで重要な示唆を与えていただきましたので、萱野さんの本を読んでみようと思いました。

ヘ会が「わたしたちは、あなたの関わっている活動そのものには、なんの関心もありません」と宣言。やったね!!

「ヘイトスピーチに反対する会」から、公開討論開催提案についての2度目の返事が出た。(というか、10日前に出ていた。こいつらは自分のサイトに黙って返事を掲載するだけなんだよね。こっちが読みにいくまで気づかないじゃないか…笑)

http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-134.html

ツッコミどころは多いが、このあたりのくだりは笑った。

あなたは「当方と決議文と貴会の決議案とでは大きな違いがある、いや、「対立」があります」と返答し、その対立について議論されたいとおっしゃいますが、対立があること自体は、いちいち確認していただかなくても自明です。

最後になりますが、わたしたちは、あなたの関わっている活動そのものには、なんの関心もありません。問題の核心に対決せず、印象操作とレッテル貼りで表面的な盛り上がりを演出するような運動は、どうせ先が見えているのですから。わたしたちがいま問題にしているのは、この国における現在の社会運動一般の姿勢 です。

私は、ヘ会の「大行進の趣旨に賛同して参加します」の表明は嘘だ、妨害目的で参加しようとしていたのだ、だから排除したのだ、と説明していたが、結局「賛同の意思はなかった」わけですね。自ら認めてどうするのや…。

…まあ、ヘ会は今後かかわってこないようだから、これで今後の各種イベントも安心して開催できる。よかった。

私らは数千人規模のデモ行進の開催、数々のトークイベントやシンポジウム、テレビ・ラジオへの出演や新聞・雑誌の取材などを通してヘイトスピーチ反対を訴えてきたわけだが、ヘ会は何をしていたのやら。今後もどこかの会議室に30~40人くらい集めて、

「排外主義の背景には~天皇制と靖国神社の存在があり~」
「そうだ!!日帝が悪い!!」

みたいな変態左翼の集いをやっているだけだろうから、社会には何の影響も与えないだろうし、これまでどおりキモがられるだけだと思う…。

「世間に注目されるチャンス」として思いつたのが、報道各社が集まった「大行進」への便乗だったのだろう。今年も同じことをやろうとしていたんだろうけれど、

わたしたちは、あなたの関わっている活動そのものには、なんの関心もありません。

だそうなので、「賛同と偽って参加した上で妨害」という作戦はあきらめたらしいですね…。

ヘ会諸君にお似合いなのは、我々に対する「カウンター」だと思います、ザイトクといっしょに。沿道で「日の丸バッテン」でも振りながら「日帝が~!」とか叫んで、街の皆さんにせいぜい馬鹿にされればよいのではないでしょうか。

答えられない人たち(その2)

ひとつ前の記事で書いたとおり、私は 氏のツイッターでの発言

東京大行進の賛同人の中にアピールについて「朝鮮学校の無償化について触れないでほしい」と主催者から言われた人もいるわけですよ。それは些末な対応のミスというようなものじゃないと思いますね。

について、「その『賛同人』とはだれのことか」と2度にわたり説明を求めたが、彼は答えられなかった

木野さんが主催から何やら言われたという賛同人は誰かと訊いてくるのですが、答える必要を感じません。ただし、ご本人はそれを明らかにすることにやぶさかではないであろうことは書いておきます。

私は「東京大行進」の発起人で主催メンバーだったが、実行委員会が賛同人にこのような要請をしたことはないはずである。事実、朝鮮学校の無償化を訴えた賛同文を寄せてくださった方がおり、「東京大行進」のウェブサイトにて開催前から公開している。万一、賛同文を依頼した実行委メンバーがその「賛同者」の方に不適切な説明をしていたのだとしたら大変申し訳ないので、何らかの対応をしたい。しかし、もし 氏の勘違いであったならば、事実ではないことが流布されては困るので撤回してほしいと思う。

ところが、氏によると「答える必要を感じません」とのことである。彼らが「公開討論」を異様なほどに拒絶する理由も、想像がつくだろう。

答えられない人たち

先日、私は「ヘイトスピーチに反対する会」に公開討論会開催の提案をした。ヘ会側も討論の機会を設けるにあたっての「条件」を提示してきているので、今後も開催に向けての調整を行うつもりだ。

さて、私がヘ会に対して数々の批判を加えてきたことは、twitterで情報を得ている「カウンター」参加者の多くがご存じのはずだ。へ会と私では、反差別運動の手法については多くの面で意見が対立すると思う。しかし、そういった問題以前に私が指摘したいのは、彼らが他者から「問い」を投げかけられたときに、極めて高い確率で「応答責任」を果たさないことである(別にデリダとか高橋哲哉とか思い出さなくていいです。『自分の公の場での発言について、説明を求められてるんだからちゃんと答えろよ、自分の発言に責任を持てよ』という当たり前なこと)。

ヘ会による「応答責任」の放棄の例を挙げてみよう。へ会メンバーである北守 @hokusyu82 氏が「東京大行進への参加は、レイシズムの加担である」という旨の発言をtwitterで行いながら、撤回もせずに「東京大行進」に参加しようとしたことについて説明を求められたときに、彼は答えられなかった

ごく最近の事例では、 @ShiraishiM1970 氏(ヘ会メンバーかどうかは知らないが、少なくとも賛同者だろう)が、twitterにて、
「東京大行進の賛同人の中にアピールについて『朝鮮学校の無償化について触れないでほしい』と主催者から言われた人もいるわけですよ。」
と発言していたので、私は「この『賛同人』とは誰のことでしょうか。名前を挙げてください」と質問したが、彼は答えられなかった

回答することによって自身や他者のプライバシーが暴かれるだとか、職務上の守秘義務を負っているなどの場合ならば話は別である。しかし、彼らは「東京大行進」に関する公の場での中傷発言と虚偽発言に対して、その主催メンバーから確認を求められているのである。応答責任の放棄である。

この点は、野間易通氏が以前からしばしば指摘してきたことである。「ヘサヨ」の特質として、「応答責任を放棄する不誠実な人たち」を追加したほうがよいかもしれない。

しかし、この種の「応答責任の放棄」の累積は、結果として自らの首を絞めることになるのではないか(ちょうど『在特会』という好例を我々は知っていますね)。北守氏が「レイシズムへの加担」発言について説明できなかったことは、ヘ会の方針に重大な矛盾を生んでしまったのである

私からの2度目のへ会宛のメールでも書いているが(私はメールで送っているのに、彼らはメールには返信せず、自身のウェブサイトに一方的に返事を掲載している・笑)、ヘ会の「東京大行進」参加を、「妨害目的である」と断定しており、ヘ会の排除を正当な、参加者の安全を守るために当然必要なものであったと考えている。北守氏は「東京大行進への参加はレイシズムへの加担」だとしているのだから、反レイシズムをうたう団体が賛同して参加しようとしたならば、大きな矛盾が生じる。妨害または嫌がらせ目的だったと解釈するのは、極めて妥当なことだろう。

また、へ会は「(カウンター勢力が)『新たな運動参加者への敷居』を引き下げるために天皇主義右翼を引き入れた」として、カウンターが右派を排斥しなかったことを批判しているようである(自由な抗議行動において、どういう権利があって特定の思想の持ち主を公共空間である路上から排除できるのかという点については、ひとまずおいておく)。「東京大行進」は「人種差別撤廃条約の誠実な履行を日本政府に求める」ことが目的で、参加者のなかには趣旨に賛同した天皇主義者や右翼もいただろう。しかしヘ会は「彼らは排除すべきである」と考えているようだから、「東京大行進」に賛同目的で参加しようとしていたならば、ここでも自身の主張と矛盾が生じてしまう。

ただし、もしヘ会が「妨害や嫌がらせの意図はまったくなく、純粋に賛同目的で参加しようとしていた」のだとしたら、私は賛同者を公然と排除し、また今後のイベントへの参加への禁止を通達してしまったのだから、へ会が求めている「謝罪と被害回復の措置」を行うつもりである。当然だが、「東京大行進への参加はレイシズムへの加担である」などといった発言や、現在までにいわゆる「カウンター参加者」を愚弄し、揶揄し、全否定してきた一連の発言について、十分な説明がなされることが前提となるが。

ヘ会は、自身のブログの副題を
「問いながら進む、反差別・反排外主義に向けて」
としている。彼らは批判対象を一方的に「問う」ことしかしてこなかったのだろう。たとえ「問われた」としても、応答する責任をすべて放棄してきたに違いない。このような(まさに『在特会』並みの)不誠実きわまりない姿勢をもって、どうやって「日本社会に根深く存在する差別・排外主義と歴史修正主義」に立ち向かおうとしてきたのかはなはだ疑問であるが、今回は正面から彼らに対して「問う」てくる人たちが現れてしまった。公開討論会の開催が楽しみである。

『「公開討論会開催のご提案」への返答』への返答

私からの公開討論開催提案について、「ヘイトスピーチに反対する会」よりウェブサイト上で返答がありました。(私への直接のメール返信はありませんでした)

http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-133.html

上記の返答に対して、さらに私よりメールにて応答をしておりますので、公開しておきます。

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ヘイトスピーチに反対する会 御中


先日のご提案について、貴会ウェブサイトにてご返答いただき、

ありがとうございます。

まず、公開討論会開催にあたり、どのような論点について貴会との討議を希望しているかについて述べさせていただきます。

最初に、「東京大行進」の主張に関する部分です。貴会の作成による「人種差別撤廃条約の誠実な履行を日本政府に求める決議(案)」 http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-119.html では、政府への要求として5項目をあげています。一方、「東京大行進」は、条約の各項目についての個別の要求は行わず、具体的な法整備案もなければ歴史認識問題にも一切触れておりません。どちらも「条約の誠実な履行」をもとめているとはいえ、当方と決議文と貴会の決議案とでは大きな違いがある、いや、「対立」があります。この対立は単に「東京大行進」で扱ったイシューの問題という面だけではなく、反レイシズム運動を展開する上での根本的な考え方の相違、われわれが敵対関係にある理由に関わってくる点だと思いますので、ぜひ詳細に討論しましょう。

続いて、貴会の反レイシズム運動について、私がどのように考えているかについてです。一言でいうと「反レイシズム運動の妨害者」であると考えています。今回の公開討論の提案も、「同じ方向を目指しているのだから、いちど議論して反レイシズム運動のさらなる展開につなげよう」という趣旨ではありません。あくまで「敵対する二者による討論」として提案しています。

貴会は結成にあたり「彼ら(在特会ら)は彼ら独自で存在するわけではなく、日本社会に根深く存在する差別・排外主義と歴史修正主義を土壌として成長し、街頭での煽動によってその土壌を耕し続けているのです」と表明していらっしゃいます。貴会としては、CRACや男組といった勢力は「日本の排外主義を強化する差別団体」であり、東京大行進への参加は「レイシズムへの加担」であるのでしょうから、貴会が排外主義団体とみなす私たちに対して執拗な嫌がらせを行ってくることに関しては十分に理解しております。しかし、私は貴会からの批判に正面からお答えする意思がありますので、まず公開の場で討議し、意見を交わすことを希望します。貴会は「排外主義やレイシズムとどう向き合うかを考えます」とおっしゃっているのですから、まず私たちと向き合ってください。

つぎに、貴会にご提案いただいた「5つの条件」について回答させていただきます。

1.木野トシキによる当会メンバーに対する処刑宣言について、木野トシキ本人および東京大行進主催者から当会メンバーへの謝罪と被害回復の措置がとられること
⇒ 謝罪しません。この回答では不十分ということでしたら、公開討論会で話し合いましょう。

2.野間易通による当会学習会の無断録音と公開、人定情報の流出について、野間易通本人からの謝罪と被害回復の措置がとられること
⇒ 野間さんに言ってください。ご希望でしたら、野間さんに公開討論会にいらしていただけないか交渉しますので、直接要求されてはいかがですか。

3.レイシストしばき隊男組による当会のチラシ配布への妨害行為の容認について、東京大行進主催者から謝罪およびレイシストしばき隊男組への非難声明と被害回復の措置がとられること
⇒ 「レイシストしばき隊男組」という組織は存在しないので、「男組」のことを指していらっしゃるものとしてお答えいたします。
東京大行進主催者としては、「今後も貴会より悪質な妨害行為があった場合には、前回同様、毅然とした対応をとります」公式な回答といたします。ご不満でしたら、公開討論の場で話し合いましょう。

4.松沢呉一による「おばあちゃん暴行事件」など当会による暴行事件なるデマ拡散について、松沢呉一からの当会への謝罪と被害回復の措置がとられること
⇒ 松沢さんに言ってください。よろしければ松沢さんも公開討論会にいらしていただけないか交渉いたしますので、ご本人に直接どうぞ。

5.東京大行進からの当会の排除について、東京大行進主催者から謝罪と被害回復の措置がとられること
⇒ 謝罪しません。もし今後も貴会が同様の妨害行為を行った場合は、排除します。納得がいかないようでしたら、ぜひ公開討論会の場で追及してみてください。


以上、回答とさせていただきます。
なお、当方からは事前にお答えを希望する質問事項などはありませんのでご安心ください。
公開討論会にて、直接伺います。

それでは、公開討論会の場でお会いできることを楽しみにしております。
日程を調整いたしますので、都合のよいお日にちをご連絡ください。
よろしくお願いいたします。


木野 寿紀

「ヘイトスピーチに反対する会」の皆様との公開討論会開催のご提案

「ヘイトスピーチに反対する会」に、公開討論開催を提案するメールをお送りしました。

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ヘイトスピーチに反対する会 御中

「東京大行進」発起人で、昨年より在特会デモへのカウンター行動を呼びかけております、木野と申します。

さて、私は昨年9月、貴会が開催されました「人種差別を日本からなくす! どうすれば? 学習会」に参加いたしました。質疑応答の時間で、私は「東京大行進は『政府に人種差別撤廃条約の履行を求める』のワンイシューとする方針ある。これについて、ヘイトスピーチに反対する会の意見を伺いたい」という内容の質問をしました。貴会の山口さんからお答えをいただきましたが、残念ながら時間にも制限に制限があり、私はこの点についてさらなる議論を希望しています。

また、この学習会での私の質疑に限らず、私たちが行っている反レイシズム運動について、貴会はさまざまな批判をされていらっしゃると認識しております。一度「公開討論」という形で、カウンター側と貴会をはじめ批判者側で議論を交わす機会を持たせていただければと思います。ぜひヘイトスピーチに反対する会、またその賛同者の方々にご参加いただき、忌憚無くご意見をぶつけていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。

【開催日時】貴会のご都合をできる限り優先いたします
【会場の手配や費用】当方で負担いたします
【討論の進行】貴会と事前に話し合い、できる限りフェアな形となるようにします

よろしくご検討のほどお願いいたします。
お返事お待ちしております。

木野寿紀

「死ね」はヘイトスピーチか

在日コリアンなどの排斥を訴える差別的なデモの拡大を受け、「ヘイトスピーチ」という言葉が2013年になって広く使われるようになった。今年度の新語・流行語大賞のベストテンにもノミネートされ、この言葉が日本社会に一定のレベルで定着しつつあるように思う。

一方で、多くの新聞やテレビが「ヘイトスピーチ」を「憎悪発言」と直訳してしまったために、まだまだこの語の意味を誤解している人も多いようだ。

こちらのまとめをご覧いただきたい。

「『死ね』はヘイトスピーチではない」?

http://togetter.com/li/608527

「ヘイトスピーチ」の意味を誤解している典型的な例である。

「知恵蔵mini」(朝日新聞出版)は、「ヘイトスピーチ」について、以下のように解説している。

憎悪に基づく差別的な言動。人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難特質理由に、特定の個人や集団をおとしめ、暴力や差別をあおるような主張をすることが特徴欧州にはヘイトスピーチを禁止する法律を設けている国が多いが、日本にはこれを特別に取り締まる法律はない。2013年に入り、日本ではインターネット上やデモで近隣諸国に対するヘイトスピーチが急増しており、問題視されている。
( 2013-5-13 )

http://kotobank.jp/word/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81

こちらを参照していただければおわかりのように、「死ね」という発言だけでは、それがヘイトスピーチにあたるかどうか判断することは不可能である。ある言葉がヘイトスピーチに該当するかどうかは、その言葉が発せられた文脈や状況に左右される。

ヘイトスピーチに該当するか否かの判断基準として、「自ら能動的に変えることが不可能な属性を対象にしているかどうが」があげられる。さきほど紹介したまとめのコメント欄にある

まるっきりネトウヨみたいなやつらやな。まとめて死ね

は、「独自の解釈で相手の発言を「ヘイトスピーチ」と認定して攻撃する者」を「ネトウヨみたいなやつら」であるとして「まとめて死ね」と罵倒している。一般に「死ね」などという言葉は、当然ながら他人に向けて発せられるべきではないと理解されているし、暴言であることは間違いないが、この場合は「ヘイトスピーチ」には該当しない。「自ら能動的に変えることが不可能な属性」を対象にしていないからである。いくら社会的に許されない、非難されるべき暴言であろうと、この基準を満たしていなければ、それは「ヘイトスピーチ」にはあたらない

逆に、「死ね」「殺せ」などの暴言を一切含まなくても、

在日コリアンの皆様は、本来日本に住まうべき方々ではありません。どうぞ、半島にお帰りになるのがよろしいかと存じます」

を当事者に向けて発したら、それはヘイトスピーチに該当する

先のまとめのコメント欄には、

「不誠実な態度にヘドが出ます。地獄に落ちるがいいとさえ思う 」

を「ヘイトスピーチ」だと主張している人がいるが、文脈を参照すれば、特定の属性の個人や集団を対象にしていないことがわかり、ヘイトスピーチにあたらない。ただし、

日本に住む中国人の不誠実な態度にヘドが出ます。地獄に落ちるがいいとさえ思う」

と街中で演説したとすれば、それはヘイトスピーチにあたる可能性が高い

ここで気をつけなければならないのは、「ヘイトスピーチに該当しなければ、卑劣な暴言でも許されるのか」などといった議論は、先のまとめにあったような「ヘイトスピーチの定義」についての議論には、本質的に関係がないということである。「ヘイトスピーチには該当しないが、許されない暴言」など、いくらでも考えられる。「『死ね』などといった言葉を他人に投げつけることは、どんな場合であっても許されない!」という意見は、当然存在してよい。

※なお、「ヘイトスピーチ」が成立するか否かの判断に、「バックグラウンドに差別構造が存在するか」という非常に重要な点があるが、そちらは次回に譲ろうと思う。